「歴史」の扱われ方(古代・中世編)
福岡藩以降の「歴史の扱い方」を調べてみようということで、福岡市博物館の関連解説を勉強してみました。
部門別展示(現 企画展示) | アーカイブズ | 福岡市博物館
すると、情報は多くないようですが、福岡藩以前からその断片は垣間見られるようです。
キーワードは
・日明貿易、日朝貿易 ・蒙古襲来 ・「袖の湊」
・博多商人 ・戦国時代(大内氏、大友氏、小早川氏)
キャッチコピーとしては「海、そして大陸文化の入口」ですね。
No.235 博多湾の風景展 | アーカイブズ | 福岡市博物館
・「博多八景」( 日本最初の八景)(鎌倉時代末期、聖福寺(しょうふくじ)の禅僧鉄庵道生(てつあんどうしょう))
No.212 博多八景展 | アーカイブズ | 福岡市博物館
・「筑紫道記(つくしのみちのき)」(1480年、連歌師宗祇)
No.308 宗祗『筑紫道記』-1480年の博多- | アーカイブズ | 福岡市博物館
・神社寺院の信仰と文化・政治の歴史
No.332 描かれた境内 | アーカイブズ | 福岡市博物館
・福岡市の「神木」
No.290 福岡神木ものがたり | アーカイブズ | 福岡市博物館
・東区志賀島(志賀海神社(しかうみじんじゃ)、荘厳寺(しょうごんじ)など)の歴史
No.083 福岡の寺社展2 志賀海神社 | アーカイブズ | 福岡市博物館
No.358 志賀島の文化財 | アーカイブズ | 福岡市博物館
・東区筥崎宮の歴史
No.286 福岡の寺社展3 筥崎宮 | アーカイブズ | 福岡市博物館
No.048 博多祗園山笠展4 | アーカイブズ | 福岡市博物館
No.189 博多湾の松原展 | アーカイブズ | 福岡市博物館
・博多区博多の歴史
No.087 戦国時代の博多展-戸次道雪と立花城- | アーカイブズ | 福岡市博物館
No.136 戦国時代の博多展3-博多焼打- | アーカイブズ | 福岡市博物館
No.170 戦国時代の博多展4 乱世の終焉・九州平定 | アーカイブズ | 福岡市博物館
No.007 東光院の仏像1 | アーカイブズ | 福岡市博物館
No.010 東光院の仏像2 | アーカイブズ | 福岡市博物館
・早良郡の歴史
No.336 戦国時代の博多展8-安楽平城をめぐる攻防- | アーカイブズ | 福岡市博物館
No.232 背振山の歴史と文化 | アーカイブズ | 福岡市博物館
・西区生の松原の歴史(壱岐(生)神社など)
No.271 博多湾の名所-生の松原- | アーカイブズ | 福岡市博物館
・志摩郡の歴史
No.314 戦国時代の博多展7-大友氏と柑子岳城- | アーカイブズ | 福岡市博物館
・西区今津の歴史(勝福寺(しょうふくじ)など)
No.067 福岡の寺社展1 勝福寺 | アーカイブズ | 福岡市博物館
古来より大陸との経済的・政治的接点となった博多湾岸には、おのずと独自の文化が育まれました。しかし一方でその経済的な利便性から、政治的には非常に流動的であり、よくいえば多様性豊かな、わるくいえば一貫性のない政治・文化が特徴とも感じます。
やはり中世までは今日的な感覚での「博多」「福岡」という一体的な地域性やそれにもとづく「歴史」は明確には見えてこないようです。福岡市の歴史は、基層的なところでは多様性を特徴としていて、本来細分化した個々の文化を近世・近代以降に「福岡・博多」としてまとめあげているようです。そしてその範囲は歴史的に海上交易の舞台となった博多湾岸に集中しており、今日の「福岡市」の行政範囲からすると非常に限られた地域になっていることが注目されます。
福岡市民にとっての歴史
先日、知人との会話の中で「福岡の人は東京の人より歴史を大事にしている」という話がでました。
私は福岡のことしか分からないのですが、他地域にくらべた「福岡市民にとっての歴史」とはどのようなものなのでしょう?
仮に福岡市民がより歴史を大切にする「市民性」のようなものを持っているのだとすれば、これまでの「歴史の上書き」の過程にそのような特徴があるかもしれないし、もしそのような特徴があるのだとすれば、今後のまちづくりや地域活動、日々の生活の中にもその「特徴」をより意識できるかもしれません。
市民にとっての「歴史」がどのようなものなのかを知るには、その「歴史」をまず知ろうということになるわけです。例えば、(以下想像)
旧石器時代以来の人々にとっての歴史は、自分たちの祖先はもともとイノシシだったとか、自分たちは「天」が大昔に生みだしたものだとか、○○をすると悪いことが起こると昔から言われているからやめよう、といったもの。
そのうち人々の中で、力をもった人が認識され、その人自体に価値が与えられ、その人にまつわる血縁や地縁、むらやお墓にも価値が与えられ、人々に大切にされるようになる。
「過去」に価値が与えられ、それが関係一族によって守られ、一族で守れない場合は、重要なものと認識されれば、時の権力者やむらによっても守られる。そこにさらなる価値が与えられていく。
時には「過去」が突然「発見」され、価値あるものとして守り伝えられる(遺跡出土品など)。
そして「過去」が「今」に伝えられ影響を与える=歴史
このように考えると、現代の個人はまずは自分の一族の歴史をたどるとして、かなり遡れる家でもせいぜい江戸時代ぐらいまででしょう。そうなると次は神社やお寺、かなり由緒ある家で、鎌倉時代ぐらい。それ以前となると、鴻臚館(こうろかん)とか、古墳とか、ほとんど遺跡になって、それはもはや現代の個々人とはつながらない。集落とか地域、江戸時代なら藩、明治中ごろ以降であれば市町村といった「集団」あるいは「土地」の歴史として認識される、と。
ということは、「福岡市民にとっての歴史」あるいは「福岡市民の歴史の扱い方」を知るには、江戸時代(福岡藩、黒田家)以降の「歴史の扱い方」を調べればよい、と考えます。
「自然史」からみた地域
自分の住む町は明治時代~戦後は田んぼで、周辺の「歴史のある町」の間を埋めるように出来上がった「目に見える歴史のない町」のようです。
う~ん。。それでいいのだろうか?「「住む場所」に「歴史」がない」と言い切ってよいのか?
戦前に水田だったという情報からさらに時代をさかのぼることはできないか。
とりあえず思いつくのが、「地質」レベルというか、「地球」レベルでここがどういう土地かという視点です。
国土地理院のサイトもとても便利になっていますが、地学系についても同様に便利なシステムが公開されています。
産業技術総合研究所「地質図Navi」
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#latlon/6,35.080,132.781
これによると
○自分の住むまち・・・新生代ー第四紀ー完新世ー沖積層(礫・砂及び泥)
○北の山・・・新生代ー古第三紀層ー始新世中期ー竹谷層・上石層および相当層(砂岩・泥岩・礫岩及び石炭(凝灰岩含む))
○南東の山・・・新生代ー第四紀ー更新世後期ー中位段丘堆積物(礫・砂及び泥)
○南西の山・・・新生代ー第四紀ー更新世後期ー阿蘇4火砕流堆積物(輝石角閃石デイサイト溶結凝灰岩及び非溶結のガラス火山灰・軽石)
となっていました。
自分の住む町は「沖積層」で、約2万年前以降、海面上昇や河川の作用によって砂や礫が堆積してできた場所のようです。海に沈んだり、川に洗われたりする場所ということで、現代(明治時代以降?)こそ治水事業のおかげで生活できる場所になったと想像できますが、それ以前はどうだったのでしょうか?
また、周辺の山(現在は丘状の宅地)も4千万年前ぐらい?(始新世中期。現存ほ乳類の目レベルは現れていたらしい)のものから、9万年前の阿蘇火山火砕流起源のものまでかなり複雑です。
「地球」というレベルでもっと詳しく調べれば、自分のまちにもダイナミックな歴史を感じることができそうです。
余談ですが、福岡市の「自然史」を学ぶことはとても微妙です。福岡市博物館は「自然史」を除く歴史博物館です。市内には「長垂の含紅雲母ペグマタイト岩脈」(西区)や「名島の檣石」(東区)といった国指定天然記念物(鉱物)もありますし、各種希少生物も海山に生息していますが、それらを体系的に学ぶ場がないのです。そのような意味で、平成29年の「福岡市青少年科学館」(中央区六本松)のオープンが待ち遠しいです。
http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/47809/1/0320houkokusiryou.pdf
「歴史がない」まち?
もともとが水田で単にそこを埋め立てて作った町は、目にみえる形で「歴史」が残っていません。いわゆる「区画整理地」と言ってもよいかもしれませんが、そのような地域はまちを歩いても、直線的で舗装された道路と住宅、水路しかない(地形的な起伏や曲がった狭い路地、古い町屋や寺社がない)わけです。
こういう町はブラタモリ的まち歩きの対象にならないのでしょう。
自分の住む町に「歴史がない」と言われると何だかショックというか、さびしいというか、まあそうやろねというあきらめというか、何とも言えず「こころの波」を感じます。
この感覚は、自分や家族が住む「土地・地域」が、「住む」という行為を通じてつながりを強め、それがその土地の性格や来歴への関心や、ある種の「敬意」のような感情を生んでいるように思います。
「歴史」あることは「価値」であり、そしてそれに関わる(住む)自分もその「価値」に連動することで高揚感を感じ、満たされ、土地に愛着がわき、「居住する誇り」となっていく。このとき「歴史」は、自分たちの現代の生活を肯定する、正当化する「道具」となっているともいえます。
地域の歴史を掘り起こし、理解し、共有し、愛着を持ち、誇りに思い、さらに後世に守り伝えるという循環。それが世界各地で行われている「歴史情報を利用した文化」なのかもしれません。
ここで見えてくるのは、その「誇り」を享受する/しない/できる/できない、といった地域内・地域間に生じる「偏り」の問題です。これは歴史情報に対する人々の反応の「温度差」の成因の一つとも予想され、また現代社会における「地域」の本質を考える上でも大変興味深いテーマになりそうです。
地形図・空中写真にみる歴史情報
地域の歴史を知るには「地図」をみるのが効果的です。
地図といえば何といっても「国土地理院」
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
自分の住んでいるエリアには次のデータが閲覧できました。
1.明治33(1900)年、大日本帝国陸地測量部、1/20000地形図
2.昭和14(1939)年、陸軍、1/11000空中写真(モノクロ)
3.昭和31(1956)年、米軍、1/7214空中写真(モノクロ)
4.昭和50(1975)年、国土地理院、1/8000空中写真(カラー)
5.昭和56(1981)年、国土地理院、1/10000空中写真(カラー)
6.昭和62(1987)年、国土地理院、1/10000空中写真(カラー)
ざっとした傾向(印象)
- 明治~戦後・・・ほとんど田んぼ。村がちらほら(あそこの村が古いのか・・・)
- 昭和50年・・・家急増!6~7割は家(2~3割は水田・山林残る)。大型建物は1割ないぐらい
- 昭和56年・・・家さらに増加。9割宅地化。うち1~2割大型建物
- 昭和62年・・・宅地でないのは山(公園)、学校(グラウンド)ぐらい。水田ほぼなくなる。
いくつかのヒントが得られました。
まず1つは、遅くとも明治には成立していた古い集落は、たしかに今でも地割りや道のつくりに「歴史」の名残がみられる。そして神社がある。
もう1つは、昭和50年ぐらいはまだ水田や山林が残っていて、「住宅地」の空間的まとまりがかろうじてあるが、昭和56年には宅地で埋め尽くされて「住宅地」の境界がなくなる。そして近年まで共同住宅が増加し、人口増加とともに「地域」の空間的認識が明らかに変化している。
地域の歴史といっても、空間的には「まわり全部田んぼだったよ」で終わるところもけっこうあるんですね・・・当たり前なのかもしれないけど、意外に重要な認識かも。
地域の歴史情報と大学
前回紹介した「まなびアイふくおか」(http://gakushu.city.fukuoka.lg.jp/)で歴史系の講座を検索していたら、校区レベルの地域と大学が関係しているケースをみかけました。
○柏原(南区)と福岡大学
○曰佐(南区)と福岡女学院大学
どんなことをしているのかな?と思って、ウェブ検索するのですが詳細がなかなか出てこない・・・(探し方が悪い可能性も。要調査です)
その過程で南区役所発信の歴史情報コーナーにたどりつきました(「各区の歴史情報」の補足です)。
みなみ情報発信隊~歴史・文化~
http://www.city.fukuoka.lg.jp/minamiku/k-shinko/charm-event/minamijouhouhassinntai/mjhzyanru_3.html
こちらは県の生涯学習情報提供サイトです。
ふくおか生涯学習ひろば
http://www.gakushu.pref.fukuoka.lg.jp/
九大とかはなにかしていないのかな?と思って「各区 大学」で検索すると、各区で所在大学との連携をさまざまに図っているのですね。
http://www.city.fukuoka.lg.jp/nishiku/kikaku/charm/chiiki-kyusyudaigaku/006.html
城南区「大学のあるまち」
http://www.city.fukuoka.lg.jp/jonanku/shimin-c/charm/daigakunoarumachi.html
南区「大学情報バンク」
http://www.city.fukuoka.lg.jp/minamiku/k-shinko/shisei/012_2.html
東区「大学と地域によるまちづくり」
http://www.city.fukuoka.lg.jp/higashiku/k-shinko/miryokuibento/higashikunomiryoku/hcy-2012_2_2.html
ワークショップ形式やプロジェクト形式のものも多くてなかなか楽しそうです。歴史系は講演形式が多いようですが、先生や学生さんたちと一緒に地域を歩いたり、資料をみたりするのも、なんだか楽しそうですね。
地元の歴史情報利用
私は早良区某所に住んでいますが、地域でどのような歴史情報の活用が行われているのか、公民館の情報を探してみました。
市内の生涯学習情報については次のサイトが集約的でとても便利です。
まなびアイふくおか(福岡市学習情報提供システム)
http://gakushu.city.fukuoka.lg.jp/
最寄りの公民館を利用するサークルは次のようなものでした。
太極拳・習字・書道・詩吟・リバティ(エアロビクス)・バレーボール・パソコン・体操・英会話・ミニバスケット・気功ストレッチ・社交ダンス・リズムダンス・野球・ギター・韓国語・三味線・ソフトダーツ・そろばん・剣道・サッカー・ミニテニス・フラダンス・きものリフォーム・バレエ・里山の会・リトミック・卓球・ヒップホップダンス・民舞・コーラス・ちぎり絵・舞踊・バドミントン・美術・手話・ソフトボール・カラオケ
すごい数のサークルです・・・他の公民館でも同様の傾向で、文化・スポーツ活動の公民館や小・中学校の利用率はかなり高いようです。
しかし、歴史情報の利用に関するサークルは、周辺校区で1つあるぐらいで、無いということはないけどもかなりマイナーな存在のようです(よくよく考えれば当然なのですが、自分がおもしろいと思うことは他人も興味があると考えてしまいがちでちょっと期待してました。怖いことです・・・)
実態はわかりませんが、ウォーキングやハイキング関係のサークルでは、付加情報として歴史情報を利用されているかもしれません。絵画関係で、テーマの材料にしているとか。
いずれにしてもここで大切なことは、専門家が調査研究し、愛好家が一定数存在する歴史情報というものは、大多数の人にとってはかなりマイナーな情報なのだろうということです。
「大事なことはわかるが、あってもなくても生活には影響ない」
歴史情報を語るときによく聞かれる現実的なことばが思い出されます。
歴史にとくに興味はないけど、まったくないがしろにしているわけではない。この一般的な感覚がこれまたとても興味深い現象です。