福岡市の歴史

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「歴史がない」まち?

もともとが水田で単にそこを埋め立てて作った町は、目にみえる形で「歴史」が残っていません。いわゆる「区画整理地」と言ってもよいかもしれませんが、そのような地域はまちを歩いても、直線的で舗装された道路と住宅、水路しかない(地形的な起伏や曲がった狭い路地、古い町屋や寺社がない)わけです。

 

こういう町はブラタモリ的まち歩きの対象にならないのでしょう。

自分の住む町に「歴史がない」と言われると何だかショックというか、さびしいというか、まあそうやろねというあきらめというか、何とも言えず「こころの波」を感じます。

この感覚は、自分や家族が住む「土地・地域」が、「住む」という行為を通じてつながりを強め、それがその土地の性格や来歴への関心や、ある種の「敬意」のような感情を生んでいるように思います。

「歴史」あることは「価値」であり、そしてそれに関わる(住む)自分もその「価値」に連動することで高揚感を感じ、満たされ、土地に愛着がわき、「居住する誇り」となっていく。このとき「歴史」は、自分たちの現代の生活を肯定する、正当化する「道具」となっているともいえます。

 

地域の歴史を掘り起こし、理解し、共有し、愛着を持ち、誇りに思い、さらに後世に守り伝えるという循環。それが世界各地で行われている「歴史情報を利用した文化」なのかもしれません。

 

ここで見えてくるのは、その「誇り」を享受する/しない/できる/できない、といった地域内・地域間に生じる「偏り」の問題です。これは歴史情報に対する人々の反応の「温度差」の成因の一つとも予想され、また現代社会における「地域」の本質を考える上でも大変興味深いテーマになりそうです。