福岡市民にとっての歴史
先日、知人との会話の中で「福岡の人は東京の人より歴史を大事にしている」という話がでました。
私は福岡のことしか分からないのですが、他地域にくらべた「福岡市民にとっての歴史」とはどのようなものなのでしょう?
仮に福岡市民がより歴史を大切にする「市民性」のようなものを持っているのだとすれば、これまでの「歴史の上書き」の過程にそのような特徴があるかもしれないし、もしそのような特徴があるのだとすれば、今後のまちづくりや地域活動、日々の生活の中にもその「特徴」をより意識できるかもしれません。
市民にとっての「歴史」がどのようなものなのかを知るには、その「歴史」をまず知ろうということになるわけです。例えば、(以下想像)
旧石器時代以来の人々にとっての歴史は、自分たちの祖先はもともとイノシシだったとか、自分たちは「天」が大昔に生みだしたものだとか、○○をすると悪いことが起こると昔から言われているからやめよう、といったもの。
そのうち人々の中で、力をもった人が認識され、その人自体に価値が与えられ、その人にまつわる血縁や地縁、むらやお墓にも価値が与えられ、人々に大切にされるようになる。
「過去」に価値が与えられ、それが関係一族によって守られ、一族で守れない場合は、重要なものと認識されれば、時の権力者やむらによっても守られる。そこにさらなる価値が与えられていく。
時には「過去」が突然「発見」され、価値あるものとして守り伝えられる(遺跡出土品など)。
そして「過去」が「今」に伝えられ影響を与える=歴史
このように考えると、現代の個人はまずは自分の一族の歴史をたどるとして、かなり遡れる家でもせいぜい江戸時代ぐらいまででしょう。そうなると次は神社やお寺、かなり由緒ある家で、鎌倉時代ぐらい。それ以前となると、鴻臚館(こうろかん)とか、古墳とか、ほとんど遺跡になって、それはもはや現代の個々人とはつながらない。集落とか地域、江戸時代なら藩、明治中ごろ以降であれば市町村といった「集団」あるいは「土地」の歴史として認識される、と。
ということは、「福岡市民にとっての歴史」あるいは「福岡市民の歴史の扱い方」を知るには、江戸時代(福岡藩、黒田家)以降の「歴史の扱い方」を調べればよい、と考えます。